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5月302015

Off-road Mania 3

[youtube]https://youtu.be/dsW0THs4zUg[/youtube]

 

 

 

記念日

その日は、モーターサイクル業界にも、ヤマハ発動機にとっても歴史的な日となった。モトクロス250cc世界選手権フィンランドGP、1973年の 8月5日。革新のサスペンションを装着するヤマハファクトリーマシンYZM250を駆るハカン・アンダーソンが両ヒートを制し、自身とヤマハに初の世界 チャンピオンをもたらしたのだ。

後に世界のモーターサイクル用サスペンションの基準となる1本型サスペンション、”モノクロスサスペンション”が、その潜在力と可能性を世界に立証した瞬間だった。

英断

物語はその前年まで遡る。

DT-1の発売で世界中にオフロードムーブメントを巻き起こしたヤマハは、さらなる技術開発には世界の頂点への挑戦が必要だと判断し、1972年に モトクロス世界選手権への参戦を開始した。しかし世界の舞台には、マイコ、ハスクバーナ、CZなどの欧州メーカーや、既に先行して実績を上げていたスズキ 勢などの大きな壁が立ちはだかっていた。

後発のヤマハにとって、「ライバルと同じことをやっていたのでは勝てないどころか、革新的な技術投入を急がねば実力あるライダーもヤマハを選んでくれない・・・」という状況だった。

既にロードレースで世界タイトルを獲得し、エンジン開発ではノウハウを蓄積していたヤマハ開発陣は、「モトクロスでは車体、とくにクッション性能向 上がポイントとなる筈だ」と、サスペンション関連の技術習得に注力していく。サスペンション専用メーカーに頼るだけではなく、自らもその開発に果敢にチャ レンジし、同年「サーマルフロー・リアサスペンション」という新しい装備をファクトリーマシンに装着。ダンパーオイルの温度上昇により減衰力が不安定にな るという問題の解決のため、従来比で3倍ものオイル容量をもち、冷却用のフィンを備えるオイルタンク付リアショックだった。性能はアップした。しかし、 250cc第10戦スウェーデン、500cc第11戦ルクセンブルクで優勝するなどの成績をあげたものの、チャンピオン獲得への道のりはまだ遠かった。

1972年、サーマルフロー・ リアサスペンション付きのヤマハ・ファクトリーマシン

そんな1972年シーズンのある日、契約ライダーのベルソーベンがGPチームを統括していた鈴木年則に呟いた。「面白いマシンがあるので、見に行こ う」と。鈴木はベルギーのリエージュ工科大学教授ルシェン ・ティルケンズ博士宅へ向かい、その工房で1本型のショックアブソーバーを目にした。「もしかするとモトクロッサーの性能アップに繋がる可能性があるかも しれない。検証する価値はある」と、欧州のヤマハの拠点Yamaha Motor N.V.と磐田の本社にこの情報を伝えた。

本社の動きは早かった。250ccのファクトリーマシンをベースに、そのサスペンションが装着できるように改造の手配をし、その性能を確認するため9月には研究部部長の畑則之、野村和彦らがベルギー、アス村にある小さなコースへ極秘に集まった。

契約ライダーたちが乗ると「遅くはないがパワー感がなく走らない」という。しかしラップタイムは標準より遅くはない。野村はそのとき、マフラーがへ こんでいることに気付いた。本来のパワーが出ていないのに速く走れている。それはスムーズに走れることを意味した。畑はジャンプからの着地でマシンの動き の違いを見ぬき、この方式をベースに開発を進めようと瞬時に判断を下した。特許の対価は当時のヤマハ発動機にとって非常に大きな金額であったが、この技術 は磨けば光ると、本社経営陣を説得していったのだった。

野村は語る「モトクロスで後発だったヤマハはサスペンション開発に強い関心を持っており、かなり研究していました。クッションが良くなればモトクロ スは大きく変ると、我々はモノクロスサスペンションを開発するまでに、そこまでは気がついていたのです。だからこそ、初めて1本型サスペンションを見たと きもその価値をいち早く認識し、そのことが、この全く新しい構造に挑戦する決断を助けたんです」と。

モノクロスサスペンション誕生の軌跡

モノクロスサスペンション誕生の軌跡

懸念の開発

その1本型サスペンション装着車はすぐに日本に送られ、10月に磐田に到着すると、本社近くの天竜川河川敷テストコースで契約ライダー鈴木秀明たち によってテストされた。「パワーがないが、楽に走れる。でもタイムは悪いのでは・・・」が第一印象だった。欧州でのテスト同様、2本サスに慣れているライ ダーたちには、速く走れている感覚はなかった。しかしタイムは違った。1周約1kmのコースで3秒も速い。ライダーもエンジニアも仰天し可能性を確信し た。一刻も早くこの技術の熟成と実用化を図るべく、開発陣の全力投球が始まった。

「まず減衰力発生機構の作り込みに注力しました。肝となる技術は自分たちでノウハウを蓄積すべきと考え、キャブレターのジェット交換の手順などを応 用して減衰力発生の機構を独自に作り上げていった」と野村はふり返る。また、ショックアブソーバーは車体への懸架が鍵となる。タンクレールに沿って陣取る ショックアブソーバーに対して、エアクリーナーの配置が問題となった。「数えきれないほどイラストを描きました。最後はもう絵を作成する時間もなく、発砲 スチロールや粘土でカタチを手作りし、スペースを検討しました。またそうした試行錯誤の中からリアアームを三角形にするという発想も生まれた」と。

翌年の全日本モトクロス選手権開幕戦でのデビューが決まると、開発陣は深夜までの仕事が続いた。エアクリーナーは結局、250ccはエンジンの脇、125ccは両サイドに取り付けられた。

その他、窒素ガス封入の仕組みなど、数々の難所を乗り越え、ついにリアのサスペンションストロークが従来2本サスの倍近くにもなる手作りのファクト リーマシンが完成した。開幕戦直前で仕上がった250cc3台、125cc3台は、1973年3月、全日本選手権開幕戦の茨城県矢田部に向かうトラックに 積み込まれて磐田を出発した。

証明

迎えた3月18日、全日本開幕戦。そのファクトリーマシンが練習走行を開始すると会場は騒然となった。「リアクッションがないぞ!」という声があち こちで聞こえる。タンク下のフレームに取り付けられた新型サスペンションは外からは見えなかったからだ。しかもそのバイクだけがジャンプを高く飛んでい く。結果、125ccでは鈴木都良夫が、250ccでは実兄の鈴木秀明が優勝。両クラスともモノクロスサスペンション搭載車が表彰台を独占する圧倒的な勝 利だった。国内メディアはこぞって「空飛ぶサスペンション」と書きたて、そのニュースは世界中を駆け巡っていった。


1973年、全日本モトクロス 開幕戦でデビューウィンを飾るYZM250と鈴木秀明

1973年、国内年間チャンピオンとなった鈴木秀明(250cc、右)と鈴木都良夫(125cc、左)兄弟

全日本で鮮烈なデビューを果たした”モノクロスサスペンション“は、同年、世界の頂点である250cc・500ccのモトクロス世界選手権に投入さ れたが、いち早く結果に繋がったのが250ccだった。1973年の開幕前の2月、アスで初めて新型YZM250を見たアンダーソン。「優位点はホイール トラベルを沢山稼げること、バンプ走破性が良いことでした。タイトルが見えていたこの時期に、全く新しいものがやってきた」と強い期待を胸にしていた。し かし日本で開発してきたその特性は、アンダーソンの感触にすぐにマッチした訳ではなかった。日本とヨーロッパでは伸減衰と圧減衰の使い方が違ったのだ。

普及と展開

モノクロスサスペンションとヤマハの快進撃は北米にも広がっていった。DT-1発売以降、急速に盛り上がったオフロード熱の中、米国でのヤマハ販売 会社、ヤマハUSコーポレーションは、1973年、オランダ国内のモトクロスチャンピオン、ピエール・カールスマーカーをチームに迎えいれレース参戦を開 始。ピエールは徐々に米国式のスタイルに慣れると、同年500ccAMAモトクロスのタイトルを獲得。翌1974年は、同年から始まったスーパークロスシ リーズ戦でモノクロスサスペンション搭載マシンを駆り、初のチャンピオンに輝いたのだった。

当時をピエールはこう思い起こしている。「モノクロスサスペンションが日本から到着したときは、とてもエキサイティングでした。私たちはヤマハの技 術者とともに9か月近くをかけてテスト、セットアップして戦闘力アップをしていきました。リアのサスペンションは飛躍的に性能が上ったのですが、実はフロ ントまわりの剛性が足りなくなり、それに色々対処しました。私の提案に対して、ヤマハ技術者たちは熱心に耳を傾け、一生懸命努力してくれました。だから私 はいつもヤマハファミリーの一員という認識を強く持って走っていました。」

ピエールの活躍を突破口にヤマハは米国での躍進を遂げていく。なかでもモトクロスで脚光を浴びたのがボブ・ハンナだった。1976年はAMAナショ ナル125ccでチャンピオンに。そして1977年から1979年まで3年連続でスーパークロスのタイトルを獲得。またブロック・グローバーはAMA史上 最年少でナショナル125ccタイトルを獲得するなど、「アメリカにヤマハ旋風」と多くの記事が書かれることになった。”モノクロスサスペンション”は、 米国でのモトクロス熱の高まりの中にあって、ヤマハの存在感を強烈に印象づけるアイコンとして光り輝き、その後「モトクロスのヤマハ」黄金時代を築いて いったのである。

スーパークロスコースを走るボブ・ハンナ

スーパークロスコースを走るボブ・ハンナ

ファクトリーマシンで実力を示したモノクロスサスペンションは翌1974年、早くも市販モトクロッサーYZ250に搭 載され、世界中のモトクロスファンの期待に応えていく。そしてその後もオフ・オン問わず多くのモデルに展開され、その技術はモーターサイクルの車体設計そ のものに大きな変革をもたらしていった。

今では1本のショックアブソーバーをもつリアサスペンションは、全く珍しくないどころか、二輪のデファクトスタンダードともいえる存在となった。し かしその起点となった革新の技術“モノクロスサスペンション”が生み出されるまでには、新しい技術開発に賭けたヤマハ技術者と、ともに苦労した契約ライ ダー達の熱いドラマがあったのである。そして、この技術者とライダー達のマニアとも呼べる情熱によって、その後もヤマハはオフロードのニュージャンル開拓 と新技術開発を進めていくことになる。


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5月172015

2015全日本モトクロス選手権第3戦 中国大会

■大会名称:2015全日本モトクロス選手権第3戦中国大会
■カテゴリ:IA1クラス
■開催日:2015年5月17日(日)
■会場:広島・グリーンパーク弘楽園
■レース時間:(30分+1周)×2ヒート

IA1:総合9位を獲得した#500安原志(YZ450FM)

IA1:総合9位を獲得した#500安原志(YZ450FM)

第2戦の関東大会から約1ヵ月、序盤戦を締めくくる第3戦中国大会が、広島県の世羅グリーンパーク弘楽園にて開催された。快晴となった決勝日は4千 人を超える観客が詰めかけ、最高峰クラスIA1をはじめとする全クラスのレースを楽しんだ。「YAMAHA FACTORY RACING TEAM」は、エースの平田優が怪我のために今大会も欠場したが、安原志が YZ450FMで参戦。IA2には前回の第1ヒート、アクシデントでリタイアとなった「YAMALUBE RACING TEAM」の渡辺祐介が、しっかりと体を治してYZ250Fでエントリー、世羅グリーンパーク弘楽園のダイナミックなコースでライバルたちと熱いバトルを 繰り広げた。

IA1:安原が10/9位で総合9位
ヤマハトップは8/8位で総合7位となった田中

3戦目を迎えた最高峰クラス。今シーズンよりIA1にステップアップした安原志にとってはこの第1ヒートが5レース目。しかし、最高峰の壁はそう簡 単に崩せるものではなかった。第1ヒート、スタートでは上位グループに入ったものの1周目は9番手。その後は7番手に順位を上げるも、すぐに9番手に順位 を落とし、前方の三原拓也(カワサキ)をはじめとするライバルに照準を合わせるも、攻略できないまま中盤を迎える。

すると、後方から追い上げてきたYZ450Fを駆る田中教生(TEAM TAKASE with YAMAHA)、伊藤正憲(YSP浜北大橋Racing・Muc-off)が安原に接近。ここで安原はバトルを繰り広げるが、勢いのある2人にかわされ、 最後は10位でフィニッシュとなった。ヤマハトップは、2周目に転倒しほぼ最後尾から追い上げた田中の8位、そしてこれに伊藤が9位で続いた。

優勝は1周目からトップをキープ、中盤に転倒して後方の熱田孝高(スズキ)との差を詰められながらトップを守り切った小方誠(ホンダ)。2位は熱田。3位は新井宏彰(カワサキ)とのマッチレースを制した小島庸平(スズキ)となった。

第2ヒート、安原はまずまずのスタートから、ショートカットの1周目の混戦の中、全体の中間あたりで1周目をクリア。2周目には8番手として、再び 上位を追う展開となる。安原は速いペースの序盤ですぐに7番手に順位を上げると、後方から田中、新井からの猛追を受けながらも中盤まで順位をキープする が、7周目に新井、9周目に田中にかわされ9番手に順位を落としてしまう。その後は、田中にくらいつくも徐々に離されて単独走行となった安原だったが、最 後までリズムを崩さずに走り切り、田中に続く9位でチェッカーを受けた。

トップは第1ヒートに続き、序盤から先行した小方が優勝して完全勝利。2・3位争いは、成田、三原、熱田、そして1周目の転倒から追い上げてきた新 井によるバトルとなる。この中でまず三原が2番手となるが、熱田が終盤に成田、三原をかわしそのまま2位でチェッカー。3位は、順位を落とした2名をかわ す大逆転で新井が獲得した。

IA2:渡辺が両ヒート入賞で総合5位

前大会、レース中のアクシデントでリタイアとなった渡辺祐介は、幸い大きな怪我もなく、万全の状態でこの第1ヒートに臨んだ。スタートはアウト側の グリッドを選択した渡辺は、混戦を避け、アウト側から多くをパスして、1周目を8番手につける。一方、前大会に国際A級のレースで初優勝を遂げた岡野聖 (フライングドルフィン サイセイ)がヤマハトップの 7番手とする。

前半から積極的に前を狙いたい渡辺だったが、パッシングが難しいコースと混戦で、一旦11番手まで順位を下げてしまう。この間に竹中純矢(スズ キ)、富田俊樹(ホンダ)が先行を許すこととなるが、3番手までは大きな開きがなく、十分に表彰台を狙えるポジションでレースを進める。

ところが、5周目に転倒。これで15番手あたりまで順位を落とすが、ここから挽回を開始するとライバルたちを次々にかわし15周目には5番手へ。そ の後一つ順位を落としてしまったが、6位でチェッカーを受けた。また、岡野は序盤でポジションを上げて4番手でレースを進め、中盤には能塚千尋(カワサ キ)と3位争いを展開。最後まで攻略できなかったものの表彰台に後一歩の4位で第1ヒート終えた。なお、優勝は1周目からトップを守り切った竹中、2位は 富田となった。

第2ヒート、スタートで出遅れて中団にも見込まれたまま1周目を終えた渡辺。2周目には、15番手あたりと厳しいスタートとなる。しかし、ここから 第1ヒートと同様冷静なレース運びを見せる。混戦から少しずつ集団がばらけはじめると、一人一人を丁寧にかわしていき5周目には9番手、7周目あたりには 5番手集団を視野に捉えるまでにジャンププアップを果たす。

後半に入っても渡辺の勢いは止まらず、前を走るサンタナ・ルカス・ケンジ(スズキ)とともに、順位を上げ9周目にはついに入賞圏内の6番手に浮上。 さらに前を目指した渡辺は、サンタナを照準に追撃を開始すると、ジリジリとその差を縮めると13周目、ついにパッシングに成功。その後は、サンタナとの マッチレースとなるが、最後までそのプレッシャーをしのぎ、第1ヒートを上回る5位でチェッカーを受けた。

上位陣は第1ヒートと同様に竹中がオープニングラップからトップをキープし、これを田中雅己(ホンダ)、富田、能塚らが追う展開となった。レースは 竹中と富田との接近戦で、最終ラップまでもつれ込んだが、富田が逆転で優勝。一方の竹中は、アクシデントで後退し変わって能塚が2位、田中が3位でレース を終えた。

レディース:安原さやが3位、今季2度目の表彰台を獲得

レースは序盤、邵洋子(ホンダ)、竹内優菜(ホンダ)、畑尾樹璃(カワサキ)がトップグループを作り、その後方にYZを駆る伊集院忍(TEAM KOH-Z)と安原さや(名阪レーシング)が続く。この中で、3周目に邵が転倒で脱落。これに変わって竹内がトップに浮上すると、これに食らいつけたのは 畑尾のみ、伊集院と安原は徐々に離されてしまう。

伊集院と安原は、序盤ほぼ同じペースでの周回を重ねるが、4周目に安原が逆転し伊集院が追う立場となるも、少しずつ安原が引き離していく。しかしこ の時点で上位2人とは大きな差が開いていたため単独走行となった安原は最後までポジションを守り3位でフィニッシュ。開幕戦に続き、今季2度目の表彰台を 獲得した。一方伊集院も順位を守って今季最高となる4位とした。上位も順位は変わらず竹内が今季2勝目、畑尾が2位として3戦連続表彰台を獲得した。


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4月292015

ハンドリングのヤマハ Vol.11 

ハンドリングのヤマハ Vol.11前編
MotoGPマシン、YZR-M1に乗れる……我が耳を疑う衝撃的な知らせに、飛び上がらんばかりの喜びが舞い降りたのは一瞬だけ。次の瞬間から不安と緊 張に全身が包まれた。感動のYZF-R1M試乗で、電子デバイスがいまやサポート的な意味ではなく、完全にパッケージ化された次世代ステージにあるのを知 り、その先行開発を担ったMotoGPマシンM1を知りたい願望が猛烈に湧いてきたのは事実。しかし300psともいわれる地上最速マシンが、これをコン トロールできる選び抜かれたMotoGPライダー以外を容易に受け容れるとは誰だって思わないだろう。ニューYZF-R1の試乗時でさえ、聞かされていた ハイパワーの存在に怖れをなしていたのだ。結果は思ってもみなかったライダーを受け容れる乗りやすさと楽しさだったが、まさかMotoGPマシンM1では あり得ないに決まっている。しかも試乗するのはマレーシアGPが開催されるセパン・サーキット。シーズン開幕前の合同テスト1週間前に、各メーカーが集 まって事前テストをしている合間に走るのだという。それも今シーズンを闘う2015年用Newモデルで。確かに闘い終わった2014年モデルをこのためだ けに走らせる準備など簡単にはできないのは理解できるものの、聞けば聞くほどその特別な状況であることに正直萎縮する。そんな葛藤の日々が瞬く間に過ぎ、 遂にM1に乗る日がやってきてしまった。

セパン・インターナショナル・サーキット

セパン・インターナショナル・サーキット

1月末でもマレーシア・クアラルンプールは32~34℃と日本の真夏。到着したセパン・サーキットでは、各メーカーのMotoGPマシンが様々な設定を試 すため数ラップ走ってはピットインを忙しく繰り返していた。そしてやや遅めのランチタイムにピットが静まりかえったそのとき、用意されたYZR-M1の 2015モデルに試乗できると告げられる。
まだスポンサー・カラーもペイントされていない、カーボン外装のままのマシンを前に簡単なコクピット説明をうけ、始動されたYZR-M1に跨がる。一般 のバイクと大きく違うのが、発進のときニュートラルからローギヤにシフトし、クラッチミートするときだけしかクラッチレバーを使わないこと。しかもニュー トラル・ポジションは一旦走り出してしまえば存在しない。停車するときだけ、ハンドル基部のスイッチを操作すればニュートラルが出るのだ。そしてシフト アップはもちろんシフトダウンでもクラッチレバーには触れなくて良い。それだけなら市販車にもシフトダウンでクラッチを使わないバイクも登場しているが、 M1は噂に聞いたシームレス・ミッションのはず……いったいどんなことになるのか想像すらできない。

ただでさえ極度の緊張を強いられているのに、説明を聞くほどに未知な領域が出てくるではないか。こんな心臓が破裂しそうな状態のまま、GPマシン特有のバババーッと高目のアイドルのエンジンをローギヤへシフト、慎重にクラッチミートしてピットロードへ出る。
ヴァ~ッという周波数帯がミックスされたクロスプレーン・サウンドを耳にしながら、先ずは10,000rpm以下で早めのシフトアップ。
高速域の空力対応で大きめにみえるカウルとは裏腹に、動き出したYZR-M1のコンパクトで軽やかなことといったらない。とにかくお腹の下にすべてが集 まっている感じで、1,000ccであるのを忘れさせる。YZF-R1Mも600cc並みに小さく感じたが、M1は小さいというより質量の無さが異様だ。 それでいて前の方の前輪とお尻の後ろにある後輪の動きが、極端なショートホイールベースのマシンとは違ってゆったりと落ち着いた感触で伝わってくる。まだ ピットロードを出て第1コーナーへ直進しているだけなのだが、意外とシックリくる体感に思わずスロットルを大きめに開けたりしながら、やんわりと減衰され ながら後輪が路面を蹴る反力がジワッと前に押し出す感触を確かめた……何を寝ぼけたコトいってるんだ、突き飛ばされるような加速のはずなのに、遂に過度の 緊張で平衡感覚を失っちゃってるのでは? 自分でも何かの錯覚に陥ってるのではないかと我が身を疑いたくなるが、これは紛れもない事実。
慎重に第1コーナーをゆっくりと曲がり、左への切り返し後に先の見通せる緩やかな右カーブへ出たところでガバッと開けてみた。猛烈なという言葉ではまる で足らないダッシュが始まる。きっと加速Gがこれまで経験したことのない域なのだろうが、瞬く間に景色のスピードが一変していくものの、依然として突き飛 ばされる感触はない。
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何というジェントル さ、呆気にとられながらも先ずはピークの半分あたりの回転域に抑えながらシフトアップしていく。そうそう、ピットロードからキツネにつままれたままなの が、このシフトアップ……もちろんクラッチレバーに触れないまま操作できるパワーシフトには慣れているが、いわゆる点火がカットされ一瞬駆動が途切れるそ の隙にギヤが変わるのとはまるで違う。排気音は回転差が生じたことを伝えてくるものの、駆動力が完璧に段差のないまま駆動トルクがよどみなく一直線に増え ていく。敢えていえば、まるでVベルトの無段変速のような感じ。俄に信じてもらえないのは重々承知でも、そう表現するしかないのだ。
そして、そして、驚くなかれ、さらに衝撃的なのがそのシフトダウン。クラッチレバーに触れずシフトペダルを掻き上げると、瞬間ブリッピングしたかのよう な排気音が聞こえるものの、エンジンブレーキによるマイナス駆動力に何の段差も生じず一定のグリップを後輪に与え続ける。一部の市販車で実現している、ツ インクラッチを含む既存の機構とはかけ離れたスムーズさだ。こうなるとハーフスロットルで操作するとどうなるのかなど、興味津々で試してみるが、知らん顔 でスムーズさがキープされていた。まさに魔法にかけられた気分というしかない。おっと、許されたのは5ラップのみ。大事なシーズン開幕直前のテストを、各チームがストップして待ってくれているのだ。あらためて「ココは鈴鹿の デグナーカーブと似ていて……」のアドバイスを思い出しながら、ちょっとはラインに乗った走りに近づけようと、感心ばかりしているココロに喝を入れる。
ヘアピン、S字、そして回り込んだ複合コーナーなどを抜けると裏ストレートへ出た。覚悟を決めてカウルに潜り込み、スロットルを全開にしてシフトアップ を促すランプが点灯するまで引っ張ってみる。立ち上がりでまだバンク角が若干残っていたこともあって、前輪の接地点から荷重が抜けた反力でハンドルがやや 逆に舵角をつけ、再び接地する瞬間の衝撃が両手にくる。

YZR-M1 2015モデル エンジン:1000cc水冷・並列4気筒・クロスプレーンクランクシャフト、フレーム:アルミデルタボックスフレーム、

YZR-M1 2015モデル エンジン:1000cc水冷・並列4気筒・クロスプレーンクランクシャフト、フレーム:アルミデルタボックスフレーム、

2速だったはず……からまるで1秒毎にシフトアップしないと間に合わないロケット・ダッ シュ。しかも瞬く間にシフトアップしているのに、上のギヤだろうが経験したことのない加速Gがそのまま続く。YZF-R1Mでも増速しようが同じ加速感の 繰り返しという、未経験の途方もないパワーの証しを伝えてきたが、それを遥かに上回るとてつもないパワーだ。いったいどれだけの出力なの か……MotoGPマシンはどのメーカーも240psあたりを公式に発表しているが、YZF-R1Mとはギヤ比が違うとはいえプラス40~50psでは絶 対にない。巷では300psに近いとまでいわれたりしているが、どうやら既に大袈裟ではなくなっている気がする。それほど長くないストレートでも 350km/hレベルが可能なのは既にご存じかも知れないが、それも加速中の一瞬のスピードに過ぎないと思わせる超凄まじい連続猛ダッシュに見舞われた。
みるみる近づく最終コーナーに、慌てて身体を起こしブレーキング。途端に猛烈な風圧で、ヘルメットが左右上下に揺すられた。極度の緊張にどこまで引いて よいかわからないままブレーキレバーへ思わず強めの入力。ワオッ、思わず声の出てしまう猛烈なストッピング・パワーだが、初期にガツンといった衝撃がな く、ノーズダイブもエッこれだけという姿勢変化に抑えられ、唯々両肩に上半身から前転してしまいそうな減速Gがのしかかってきた。ABSは装着禁止なはず などと思う余裕もなく、本能的にブレーキレバーを緩めるが、最終コーナー入り口で一時停止しそうなまで速度が落ちてしまった。

 あらためて再加速しながら左へバンク。コーナリングというより、曲率トレースとでも表現したい急激な旋回でイン側へ早く近づく。後輪を軸に前輪が 外側をなぞっていく……そんな前後輪差を感じさせない曲がり方だ。ちょっと慣れてきた、イヤイヤそれは勘違いに過ぎないはず、などと葛藤しながらも長い ホームストレートに向かって、バンク角をやや立てながらスロットルをさっきより手前で大きく開けてみる。
またもや超凄まじい連続猛ダッシュが再開された。YZF-R1Mと同じデジタル表示のレブカウンターを確認する余裕がない。最高回転数あたり……右へ伸 びていく液晶表示の移動が速すぎて結局ランプに促されシフトアップ。ストレート真ん中でもう1回シフトしたら、既に6速だったのに気づかされるワープぶり だ。ヘルメット後部から背中まで、強烈な負圧で上半身が後ろへ引っ張られるため、両腕でタンクを必死にホールドして顔を前に突き出さんばかりに耐える。ス トレートが一番体力を消耗する……少なくとも慣れないボクはそうだったが、ヤマハテストコースで試乗したYZF-R1Mのあのスピード感を数段上回ってい るのは間違いない。(後編へ続く
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